この記事は大体これ位の時間で読めるかも?: 30

次の日の朝起きたら、ばあちゃんはいなかった。

どこにも姿がないのだ。

あんな体でどこに行ったんだ??

彼女と青い顔をして辺りを探しまくってたら、

何やら両手に、沢山の袋を持って帰って来た。

 

お前らが好きなゴボウの葉っぱと、山菜を採ってきたんだ。

なんかたまに暗い顔してるから、これ食べて元気になれ。

 

そう言って天ぷらを作ってくれた。

若い頃、総菜屋をやっていた経験で腕はプロだ。

その子供である母親も、言うまでも無く料理は美味しい。

 

天ぷらは『音』で分かると良く言っていた。

それはとてつもなく美味しく懐かしい味であり、

当然僕らは元気になったが、どう考えても不思議だった。

とても山に山菜を採りに行く、体力や気力など無い筈なのに。

今から思うと死相が出ていた。

 

『東京にはいかねえよ』

僕らが切り出す前にばあちゃんは言った。

まだまだこの通り元気だし、レントゲンでも異常はねえ。

オラは福島の人間だ。ここで死ぬ。

 

ばあちゃんなりに、迷惑をかけたくないという思いだったのだろう。

 

何があっても人様に迷惑だけはかけるな

 

ばあちゃんからも母親からも

こういう風に言われ育てられてきた

 

強い意志。

多分何を言っても駄目だと悟った。

一度決めたら絶対に引かない。

 

ココを風呂に入れ爪を切り、家の掃除をやった後に僕らは福島を後にした。

数週間後。

母親から東京の従兄弟の所に、ばあちゃんを預けるからね

と連絡が来た。

 

従兄弟は外科医だ。その病院に預けるという。

あれだけ拒んでいた、東京行きを受け入れるという事は。。。

 

彼女は毎日車で病院に行った。

僕は仕事の都合で行けない事も多かった。

代わりに、今日は一緒にこういう話をしてきたよ!

と話してくれた。

 

従兄弟は、小さい頃から医者になると決めていた。

ばあちゃんは僕が小さい頃から、笑いながらよく言っていた。

あいつはオラが死ぬ時は医者になってるから、最後まで面倒見てくれるんだとさ 笑

ありがてぇなあ。。。多分お世話になるなぁ。

 

僕がばあちゃんから聞いた最後の言葉。

 

人間はな、思い込んだらそうなっちまうもんだ。

だから良い事だけ考えて信じて生きろ。

 

実際そうなった。

麻酔科医である従兄弟の手で、ばあちゃんはさほど苦しまずこの世を全う出来た。

亡くなったその日。

 

彼女は泣きながら、何度も何度も遺体を前に『ありがとう』と言っていた。

 

僕も彼女も、大切な物を沢山もらったし教えてもらったんだ。

 

ココは普段は吠えない子なのに、何故かその日はずっと吠えていた。

 

亡くなった直後に東日本大震災があった。

ばあちゃんの家は福島の原発からわずか5キロ圏内にあった。

 

もし東京に来ていなければ、ばあちゃんもココもダメだったであろう。

神様守ってくれてありがとう。